会長挨拶
令和8年度挨拶
「 子どものころのお話し 」
姫路発明研究会
会長 中村 隆弘
今は人生100年時代とか言われていますが本当に100歳までの人生を全うして世の中に貢献できた人は何人いるのでしょうか。
私ごとですが、父母の兄弟姉妹12名が成人し結婚したので祖父祖母が20名いました、私が生まれて4ヵ月後に8人兄弟姉妹長男の父が戦死しました。今100歳になる祖母が存命で頭もしっかりしており、孫ひ孫が訪ねてくるのを楽しみにしています。私の子ども時代の面倒をよく見たと周囲に言ってます。
なぜ今子どもの頃の話を書こうとしたのかというと、人生で一番大事なことは子どもの頃どう育ったかだと思うからです。子どもは教育を受ける立場と考えてみると子どものころの色んなことが思い出されます。あんなこともあった、こんなこともあった、色んなことをしました。小学校に上がるまでのことは思い出せませんが、小学1年生、家の電気代が定額制から従量制に変わるときで学校から帰るとメーター(積算電力計)があり、なんだろうと触って壊してしまいひどく叱られたということを思い出します。沢山の祖父祖母に囲まれ祖父が道具を買うのが好きだったとかで、金づちノコギリノミなどの大工道具がゴロゴロありました。どちらかといえば、どんくさく運動が苦手で不器用な私でしたが、このような環境で育ったので大工道具は人より少しうまく使えたのです。今では子供が使うと危ないとかで触らせない親がほとんどですが、触って小さい怪我をして大きい怪我をしなくなるのです。私は今では禁止されている肥後守を愛用していました。それで、鉛筆を削ったり竹トンボを作ったりしたのです。
小学5年生の時、祖父が亡くなりました。同時期に私は風邪をこじらせ心臓の病気今でいうWPM症候群になり、学校への登校は半分程でした。また、母が学校で推奨されたからか毎月`子どもの学科`を買ってくれました。載っていた鉱石ラジオをあちこちから部品を集めて作ったのですが、動作しませんでした。今から考えると鉱石の使い方を知らず、本に載っているものをまねただけのものでした。中学生になって、ゲルマニウムダイオードとクリスタルレシーバが入手できたので聞こえるラジオが完成しました。
科学部に入りST管を使った並3、並4、5球スーパーなどを作りました。再生検波式のもので、担当の先生が部品などを集めてくれたものでした。中学校では8組迄あったので同級生は400人以上いたと思います。読書と工作が好きだったので国語、理科、数学が得意でした。運動はできなかったのですが、3年生になると上位100人位が成績順に貼りだされたのですが、残念ながら最高位は3番でしたが大体3%以内に入っていたと思います。高校に入学してからすぐにアマチュア無線の試験を受け合格し好きなことを思う存分やらせてもらいました。成績は化学、物理、国語は得意でしたが英語と数学がダメでした。やっと入った工業大学で、電子工化学でしたが所属した真空管研究室で卒業際には電子管研究室に変わりましたが、知っていることばかりで将棋を指す適当な人がいたのでほとんど将棋づけでした。将棋は会社に入ってから役に立ち将棋大会で賞を何度ももらいました。また、大学生時代にはテレビの普及が始まり故障もよくあり、テレビには各社取説に全回路図を付けており、誰でもわかるようにしていたので助かりました。小遣いはテレビの修理で賄ったようなことです。鉄、アルミの薄板を手動式ドリル、テーパーリーマ、シャーシーパンチ等で穴を空けたり曲げてシャーシやパネルに加工し無線機や測定器を作ったものです。大学時代にはこの外、アンテナに力を入れキュピカルクワッドなど色んな物を作りました。
この時代の経験が私のものづくりの原点です。前にも言いましたが、ものづくりをする技術者が激減しています。技術で中国に負け、国際社会から置いて行かれそうになっている現状を少しでも、良い方向に向ける為に役立ちたいと思っています。今年度もよろしくお願いいたします。
中村 隆弘
姫路少年少女発明クラブ/会長
光テクノ株式会社/代表取締役
http://www1.winknet.ne.jp/^hikaritech/
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